「AIを使うと考えなくなりそうなので
ChatGPT は使いません」
という大学生のインタビューを見て、
違和感を感じています。
これは一見すると、
真実を示しているように
感じるかもしれません。
しかし、この記事を読み進めると、
この思考こそが「思考停止」なのかも?
と思えてくるかもしれません。
AIと思考停止の真実
先生!もう頭がパンクしそうなくらい過去イチで頭を使っている感じがします!
今、僕のクラスでAIを学び始めた
シニアの女性。
これって
「AIを使うと考えなくなるんじゃないか?」
というフレーズとは真逆の反応ですよね。
つまり、AIを学び、それを活用することで、
実際には思考力が向上している
ということも起きうるのです。
AIという新たなチャレンジ
AIを自分の生活に取り入れる方法を学ぶことは、人類にとって新たな挑戦です。
いままで、この領域は
プログラマーやソフトウェア開発者などの
ごく限られた人や
人というリソースを
活用していく経営者だけが
使ってきた脳だと僕は思っています。
ソフトウェア開発者として
20年の経験を持つ僕が感じることは
これは、コンピューターシステムの
開発に似ている、ということです。
僕たちは、新しいシステムの設計をするときに
どの部分を人間が担い、
どの部分をコンピュータが担うか?
という界面の設計をしていきます。
言ってみれば作業分担です。
例えば自動販売機で考えてみましょう。
ジュースの自動販売機では、
ザックリいうと、以下のようなプロセスになります。
1. 財布からお金を取り出し(人)
2. 投入口にお金を入れる(人)
3. 自動販売機のランプがついて(機械)
4. ボタンを押すと(機械)
5. ジュースが出てくる(機械)
6. それを投入口から取り出す(人)
2〜3と5〜6が人と機械の界面です。
実をいうと、
1の財布からお金を取り出す段で
いくら入れたら十分か?という
脳の判断が入っています。
AIを使うことというのは、この
脳の判断部分をおまかせするか?
それとも自分でやるか?を「あなた」が考える
初めての機会なのかもしれません。
AIと「能力信仰」の危うさ
先日読んだ孫泰蔵さんの「冒険の書」。
この本の中で「能力信仰」という
キーワードが出てきます。
僕たちは能力という信仰に囚われている。
という問題提起をしています。
面白い視点ですよね、「信仰」なんですって。
本当はその人ができることには
無限の尺度があります。
誰かと仲良く過ごすコミュニケーションに長けている人
熱中し始めたら誰にも止められない集中ができる人
落ち込んでいる人を励ますのが得意な人
でも、こうした人は
かならずしも社会での評価が高いとはいわれませんでした。
それが、一般的に「能力」と言っている
学校や社会で必要とされる評価軸には
なかったからです。
そして、学校や社会が必要と思い込んでいる能力を持たない人は、落ちこぼれであると排除されてきたし、自分自身を無価値だと捉えてきた場面があります。
しかし、AIの学びとは、
ただ単に「必要な能力を身につける」こと
以上の意味を持ちます。
それは新たな視野を開く手段であり、
これまでの考え方や視点を広げ、
今まで体験したことのない
脳を鍛えるための最大の脳トレなんです。
まとめ:本を読み、AIを活用しよう
これから私たちは、
私たち自身が使ったことのない脳を使う
未体験のゾーンに突入していきます。
記憶力や計算力といった
既存の能力だけを「能力」と捉えていると
新しい脳を使うということに
意識が向かない思考停止を招きます。
そうならないために、
本を読みます。
それは、新しい価値観に触れる
ということです。
AIを使うことが当たり前になった
世の中では、また新しい価値観が
芽吹いていきます。
固定観念を壊し、感性を磨き、
だれでも2〜7倍のスピードで
本が読めるようになる「楽読」スクールを
全国Zoomレッスンと、新潟の教室でやっています。
「楽読」体験会でお待ちしています。
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