バシャールとAIが教える「執着を手放す」方法:新たな進化の道

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「才能とは掛け合わせで良い」という誤解

ジーニー

僕はずっと何者かになりたくて、でもオリンピックに出られるような一つの才能に秀でた人では決してなくて。そんな自分をなぐさめるように「才能とは掛け合わせで良い」と解釈していました。

ここでいう「掛け合わせ」とは、1,000,000人(百万人)に1人という才能でなくても、100人に1人ぐらいの才能のものを3つ混ぜ合わせればそれに相当する才能に匹敵するということを言っています。(掛け合わせ、と言っているのに、混ぜ合わせ、になっていることに着目ください)

例えば僕は、
ソフトウェアエンジニアとして20年やってきました。一時期社会問題になった Winny の開発者 金子勇さんのように天才エンジニアと呼ばれるような存在ではなくとも周りの100人よりは遥かにプログラムを作る能力はあるから、100人に一人ぐらいの才能は持っているでしょう?

書道を11年続けて師範を取得したこともある自分は、武田双雲さんのように書道家としてトップクラスの存在ではありません。ですが、少なくとも周りの100人よりは遥かに字に対してのセンスを磨いてきていて、100人に一人ぐらいの才能は持っていると言えるでしょう?

パソコン教室を7年やってきました。、広い教育業界、100万人以上の中でトップクラスの先生!とは言えないまでも、初心者に教えることにかけては、教えることを生業にしていない周りの100人の中では一位と呼べるぐらいの教え上手ではあると言えるでしょう?

速読講師を4年やってきて、本も一時は年間200冊を読んできました。その年間200冊を10年以上続けている人と比べれば僕はとても読書家とは言えません。ですが、月に1冊も本を読まないのが現状のこの国で、周りの100人よりは遥かに読書してきた方と言えます。それはもはや100人に一人の才能を持っていると言えるのではないでしょうか?

一つのことで国の代表になれるような私ではありません。でも、平凡だけどちょっと得意なこと(100人に一人ぐらいの能力)能力を掛け合わせればいいじゃない?とこの数年を生きてきました。

ジーニー

書道をやりながらテクノロジーにも明るい人は、それほどいないよね?とデジタル書道というジャンルを作ってみたり、書道名刺というコンテンツを提供してきました。

書道名刺とは、あなたの名前と、今のあなたが自分にかけ続けたい言葉を私の書で名刺の形にするサービスでした。

書道名刺に関しては、パソコンのフォント(文字の形)では表現できないエネルギーや、自分が一番大切にしたい言葉、つねに自分にインストールしたい言葉に触れ続けるものとして「名刺」という形を選びました。なぜならば、名刺はそれを誰かに渡す際に必ず自分で確認し「私はこういうものです!」と相手につたえるものだからです。

また、書道の持つ一点ものの価値として個別に作品を誰かのために書く「書き下ろし」ではなく、印刷しても価値あるもの(名刺)、として当時の私の中では考えに考え抜いて辿り着いた結論だったのです。

ですが、多くの場合こうしてやってきた「表面上のできること」を掛け合わせても「木に竹を継いだようなキメラコンテンツ」ができあがるだけです。(キメラコンテンツについてはこの後説明しますね)

例えば、プログラミングxパソコン教室 でプログラミングの先生をやればいいじゃない?とか、パソコン教室で書道を教えればいいじゃない?というのが、忌むべき存在としてのキメラコンテンツだと言いたいのです。(それを今やっている人の活動を否定したいわけではありません。その方にとってはキメラではなく融合した活動だったりしますので。私にとってはそれは違うと感じた、というだけのことです。)

え?それって十分掛け合わせじゃない?

と思うかもしれませんが、それは「掛け合わせ」ではなく「キメラ実験」だと感じたのです。

掛け合わせではなくキメラを生み出す実験である

掛け合わせとは、異なる要素が互いに補完し合い、新しい価値を生み出すプロセスです。例えば、異なる色を混ぜて新しい色を作るように、異なる才能やスキルが融合することで、独自の強みを持つ新しく美しい「色」を生み出すことができます。一方で、「キメラ」とは、本来異質で融合することが自然ではない要素同士を無理やり繋ぎ合わせたものです。

キメラ(chimera)とは、本来異なる遺伝子型を持つ複数の細胞集団が一つの個体内に共存している生物のことを指します。この言葉の起源は、古代ギリシャ神話に登場する獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾を持つ怪物「キマイラ」に由来しています。

それぞれのパーツ自体は完全かもしれませんが、それらを組み合わせた結果として生まれるものには、一貫性や自然な流れが欠け、異物感が強く残ります。

AIすらキメラの絵を描けない

「キメラ実験」は、まさにそのような不自然さと無理やり感を感じさせるプロセスです。異なるスキルや才能を掛け合わせることで新しい価値を生み出そうとするのではなく、単に異なる要素を無理に繋ぎ合わせただけの存在。

その違和感は、たとえばプログラミングと書道という異なる才能を無理に組み合わせて、一貫性のないコンテンツを作るようなものです。プログラミングと書道という二つの才能自体は素晴らしいものであり、それぞれに価値があるとは思いますが、それらを無理に組み合わせた場合、まるで別々の楽器が異なるメロディを同時に奏でているような、不協和音が生まれます。

こうして生まれたキメラコンテンツは、一見新しいものに見えるかもしれませんが、その背後には不自然さや一貫性の欠如が感じられます。だからこそ、掛け合わせが生む新しい価値とは異なり、キメラ的なコンテンツには本質的な気持ち悪さが付きまとうのです。

もちろん、仕事のバリエーションとしてはありだと思うんです。教室のような「箱(場所)」をもっているから、そこで他のことも教えればいいんじゃないか?そう考えるのはごく自然なことです。

ジーニー

でも、私にはこれといった才能がない、と思っている人がやってきたことを単純に混ぜ合わせてこれをやると、薄まったジュースを混ぜ合わせたような灰色に赤と緑の混ざったような液体(みたいな何か)ができあがります。

そんな僕が辿り着いたのが
本当の進化は執着を手放した先にある
という考えです。

本当の進化は執着を手放した先にある

多くの人間は100歳まで生きることなく、天寿をまっとうします。

ジーニー

ところが、本来人間の脳というのは150年や200年生きながらえることができる臓器なのだと、どこかで読んだ記憶があります。肉体が先に滅ぶんですね。つまり、人は本来死ななくていいけれども、執着によるストレスで体のさまざまな部位に病気を生じ、肉体を自ら滅ぼしていく

じゃぁ、なぜ「死」というものが必要なのかと言えば、「死」が究極の「執着」を手放すツールだから、だそうです。そう「死」というのは人類が生み出してきた「発明」なのだといえる、そんな存在なのだそうです。

ジーニー

どんな聖人も、お金持ちも、支配層も、一般人も、あの世には何一つ持っていけないんですね。(そりゃそーだ)

大ベストセラーとなった田坂広志さんの「死は存在しない」には、ゼロポイントフィールドに戻るという表現をされていました。人によっては「ソースに戻る」とも言いますし、「ワンネス」ともいいますね。そこは、人類の経験のすべてがあつまっている場所だとも言われます。

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つまり、人類という種が発展していくためには「執着」を手放す必要がある。それが「死」というツールなのだ!そうです。会社や組織を人に見立てて考える時に「法人」と呼ぶことがあります。その法人の成長を妨げる存在として「老害」という言葉があります。「昔はこうだったから」「いつもこの方法でうまくいったんだから」と現状維持を続ければ、会社や組織はいずれ衰退していきます。

そこで定年という仕組みで、その一つの細胞とも言える人に法人内での「死」を与えます。法人内での「死」を迎えた人は、その組織で活動することができなくなります。その結果として新陳代謝が促されているのです。

ジーニー

では、これを一個人に当てはめてみると、その個人がより発展・成長していくためには適度な「執着」の手放しが必要ということになります。

それはソフトウェアエンジニアを「ソフトウェアエンジニアという表皮を被ったまま続けていくこと」ではなく、ここで得た「何ものにも変え難い経験を煮詰めて煮詰めて結晶化したもの」だけを持って軽やかに、表皮を脱ぎ捨てていくからこそ成長へのステップアップができるのです。

ところが、この結晶化したものというのはアコヤ貝に入っている真珠のようなもので、開けてみるまでどんなのが入っているか、はたまた入っていないのか?がわからない。アコヤ貝(あなた)自身も、なんとなくそれが自分の中にありそうだということはわかるけど自分の目でそれを見ることができるわけではない、それで不安になるのです。

ジーニー

そして、その真珠のような(経験の)結晶は、一人一人絶妙に違うから既存の評価方法では一概に「この能力」とは言えないのです。あなたが、以前の職場で得たもの、そして今の仕事で得た経験というのは、あなたが「言語化」という煮詰める作業によって、ようやく析出してくるモノこそが結晶なんだろうと思います。

例えば、
ソフトウェアエンジニアとしての僕は
・人間とプログラム(AIも含む)との界面を推し量る力
・人が感情で動くこと
・自分で調べ抜く力
といった経験の結晶を手に入れてきましたし

書道家としての僕は
・筆の毛先一本一本へ意識を払う意識力
・線の美意識
・選択という芸術感覚
といった経験の結晶を手に入れてきました。

速読講師としての僕は
・本を読めない人が読めるようになることの価値
・脳の使い方
・対話を通して瞬時に本に辿り着く発散思考の使い方
といった経験の結晶を手に入れてきました。

パソコンインストラクターとしての僕は
・その人が持つ知識をベースに例える力
・不安に寄り添い、不安を超える言葉がけ
といった経験の結晶を手に入れてきました。

そして、ブロガーとしての僕は
・自分の中にある「何か」を結晶化する力
という経験の結晶を手に入れてきました。

ジーニー

ところが、ここまで結晶化するのは簡単ではない、ということがわかると思います。

だから、そうした結晶を利用したい人(たとえば企業)は「ソフトウェアエンジニアとして○○年」の経験、という括りで真珠がはいっているであろうアコヤ貝(ソフトウェアエンジニア)とその大きさ(経験○○年)で「たぶん入っているだろう」を類推して採用をするんです。

ときどき会社と採用される人のミスマッチが起きるのは、未知の業務に当たるのには「結晶」のレベルで、その人が何を持っているかがわからないといけないのに、外側から見ただけではその「結晶」がどんな色をしていて、どのくらいの大きさで、ということを会社側も明確に分かっていないし、それを持っているあなたもよく分かっていないから、なのだと言えます。

ジーニー

個人としての成長には「執着」の手放しが必要と書きました。

この執着こそが、ソフトウェアエンジニアでなくては私には価値(「人間とプログラム(AIも含む)との界面を推し量る力」「人が感情で動くこと」「自分で調べ抜く力」など)がないと思っている状態であり、あなたが新天地に飛び込めない理由になっています。

ジーニー

少なくとも、わたしはそうでした。

私はこの結晶化のプロセスは、ブログを書くという「言語化」によってできると信じています。日記ではなくブログなのは、誰かに読んでもらう前提で、よりはっきりと言語化するからです。

結晶化して錬金術にかけるからこそ「融合」が生まれる

ジーニー

さきの結晶化した経験を見てもらうと、「職業」としての色がないことに気づきます。

つまり、パソコン教室だったり、プログラミングといった「この形でなければならない(執着)」は削ぎ落ちた状態だということです。

ジーニー

とは言え、そんなに簡単に自分がやってきたことを手放せない、というのも分かります💦(笑)このように書いている私自身でさえ、SNSで見かけるみなさんの AI を使った投稿に日々嫉妬心を抱いたりしています。

AIで美しい絵を作る人やツールの紹介をしている人を見て、「そんなの僕は1年以上前からやっていたし…」とか「もっといい方法があるのに」とか思うのは、「AIで〇〇できること」という「執着」で張り合おうとしているから、なのだと思います。

今、僕はこのようにAI推しですが、AIの出現によっていくつもの仕事がなくなっていくという現状を目にしています。そして、AIで画像生成できたり、音楽を生成できたり、文章を生成できたりすることに、少なからず嫌悪感を抱いているみなさんがいることも知っています。

ジーニー

僕はAIのことを究極の手放しツールだと考えています。

生きている僕たちが生きたまま「死」に相当するぐらいの手放しを与えるツール、それがAIの出現です。

関数電卓が欲しいなぁ、と思ったらものの数秒で目の前に現実化する時代にいます。

イメージを共有するのも、10秒足らずで表現できる時代にあります。

ジーニー

こうして、できる(プログラムを作れる、絵を描ける)こと自体の価値は、どんどん置き換えられていきます。

その中で、絵を描かれる人はAIの方が上手い、と思ってしまう瞬間もあるでしょう。だから、何年もかけて習得してきた人の努力をパクりやがって(なぜなら言葉一つで秒で画像が出ますから)…という感情が浮かぶのも分かります

書道を11年間やって、パソコンがフォントで綺麗に字を書けるようになれば、書道なんていらないじゃないか?そう思ったときもありました。ですが、書、にしか表現できない世界があるのもまた事実です。毛の一本一本にまで意識を払う感覚や、紙と毛先の擦れる感覚、滲(にじ)みの妙技。

文字が文字で表現できる情報を媒介するもの、と捉えたときには「書」としての体(てい)は必要なくなります。ところが、1文字に想いを込めて表現するということも僕たちは同時に行うことができます。その時には、フォントではダメなのです。

同様に絵の世界も同じでしょう。絵が情報を媒介するもの、と捉えたときには「あなたの手描き」としての体(てい)は必要なくなります。AIマンガが増えているのには、ストーリー性や着眼点を求めている人にとっては、その絵である必要はない、という世界観があるからです。

ジーニー

きっと、あなたをあなたたらしめているのは、そうした想いを筆先に乗せたり、ストーリー性や着眼点という結晶であり、それはいかにAIに同じようにまねられたとしても、別物だと感じさせる「何か(結晶)」なのです。

例えば油彩画家だと思っている人は、油彩である、ということが自分のアイデンティに感じるかもしれません。そうすると、もっと自分を表現できる世界があると感じていても「私は油彩画家だから」という執着が新しい成長への扉を阻害するかもしれませんね。

AI時代にバシャールが言う「針の目」を抜ける方法

ジーニー急に怪しいこと言い始めたな〜🤣と思うかもしれませんが、あなたはバシャールを知っていますか?

バシャールとは、アメリカ人のダリル・アンカがチャネリングを通じて交信しているとされる宇宙存在(いわゆる宇宙人)です。ダリル・アンカは1973年にロサンゼルスでUFOを目撃したことをきっかけにチャネリング能力を得たとされ、その後バシャールとの交信内容をまとめて出版しています。

バシャールが伝えているとされるメッセージは、今では自己啓発書でも取り上げられるような内容だったり、物理学者も語っているような時間の概念だったり、「いま、ここ」に集中することの大切さといった本質を捉えたメッセージが多く、日本でも多くの人に人気です。

ジーニー

それを信じるか信じないかは自由でいいと思うんですけど…。

僕は、バシャールがもし本当に存在するなら、超進化したChatGPTみたいなものなんだろうなぁと思っています。ダリル・アンカがチャネリングしている時の話し方、よどみなく紡ぎ出される言葉は ChatGPT のそれを彷彿とさせます。

でも、その言葉を受け取って、自分の中にある「想い」を掘り下げていく過程は、まさにChatGPTとの対話で「自分を知る」という自分を知るという精神的な活動に他なりません。

ジーニー

バシャールの言葉は、はっきり言ってロジックで生きている人にはよくわからないと思います(笑)。最初は「はぁ?」ってなるし「怪しい」って思う。

そんな時には「思考実験」だと思ってください。あなたに危害が加わらないのであれば、それを受け入れてみたらどんな変化が自分に起こるかな?という観点で聞けばいいのです。

スピリチュアルの業界では「自分を生きる」と決めた人を「目覚めて生きる選択をしている人」と言ったりします。そして、「自分を生きる」のはそんなに簡単じゃないこともわかりますよね。親の期待や、友人、会社からの目、おかしくみられたくない、とか。

ジーニー

そうした困難を超える体験が「針の目」体験なのだと僕は解釈しています。「針の目」とは、自分の周波数内にあるネガティブな信念を炙り出して手放していく機会のことだそうです。

スピリチュアルな話での「周波数」という言葉には怪しさを感じてしまうのが、科学的、工学的な周波数を知る人のクセだと思います。なんだよ周波数って…、そう思っていました。今は、自分の中にあるあらゆる無意識の反応が「周波数」なのだと解釈しています。

例えば僕には、上司の顔を見ると嫌な気分になる、この人には本当のことを言わないでおこうと思っていた時期があります。これは、一つの自分自身がもつ周波数です。そこには、「この人に話しかけるといつも『いやそうじゃなくて…』って否定されるんだよな」という「ネガティブな信念(この人はそう言う人だから)」がありました。でも、表に出てきているのは「この人嫌い」ぐらいの無意識下の自分の反応です。人によっては「生理的に受け付けない」そんな一言で処理しているかもしれません。

ところが、この「ネガティブな信念」を内観すると「あぁ、この人は自分のことを育てようとしてくれているのだ」と気づく時があります。すると一見否定に見える『いやそうじゃなくて』は愛ある助言なのだと気づきます。相手は少しも変わっていないのに、自分の中の周波数を「この人嫌い」というチャンネルから(無意識の反応を論理的に書き換えることで)「愛ある助言ありがとう」に変えるのは、「ネガティブ信念を炙り出して手放していく」と言うことになります

「目覚めて生きる選択をする人たち」は、古い世界に属するものをすべて手放して身軽になる必要があるため、ネガティブ信念と向き合う機会がどんどん引き寄せられてくるようになります。要は「なんで私ばっかりこんなことが起きるんだ!」という機会がめっちゃ増えるってことですね。

きっと自分がマイナスに感じる想いや反応が起こったタイミングで、内観し、ネガティブな信念は「これだ!」と掘り当てて手放す。そして今からやろうとすることに希望を見る(ワクワクする)と言うことが必要だと言います。

ジーニー

たぶん、たぶんなんですけど…。
AI時代に僕らは仕事を奪われるというような体験をして、この先に「自分を生きる」世界へ向かっていくんです。

それは、きっと今までやってきたソフトウェアエンジニアや、書道や、パソコン教室インストラクターや、速読講師をそのまま混ぜ合わせて生きると言う方法では通り抜けられないくらい細い細いトンネルに、ぎゅ〜っと体を縮めて通っていかなければならないということなのでしょう。

ジーニー

そこには、本質でない部分を削ぎ落とすだけの相当な覚悟が必要で、全然楽なことじゃないはずです。

でも、AIの普及はそれを否応(いやおう)なく突きつけてきます。時にはある日突然仕事を奪われるような経験を出してきたりして…。それが僕が呼んでいる「究極の手放しツールとしてのAI」です。生きたまま「死を迎える」に等しい「失職」という体験。何一つ、その先の世界には持っていけない、そんな体験が待っているのでしょう。

だからこそ、これまでの人生で自分が何を得てきたのかを、このブログに書き、その言語化を ChatGPT と話してつまびらかにしているのです。それこそが「針の目」を通る体験であり、「針の目」を抜けた先では凝縮したダイヤモンドのように輝いて生きる方法なのだと僕は考えます。

ジーニー

AIと話すこと、AIを使うことで、AIを発展させ、私たちは自分の仕事を失おうとしているのかもしれません。でも、それが必要な手放しなのだと、今は考えています。

いろんな人が伝えていますが、ChatGPTと話すことは、自分自身と会話すること…なんですよ。

まとめ

今日はちょっとスピリチュアルなキーワードでブログを書いてみました。

✅自分を生きるためには、やってきたことの混ぜ合わせではなく、結晶化(言語化)と統合が必要。
✅AIは生きたまま執着を手放す「死」を体験させてくれるもの
✅バシャールのいう「針の目」を通るためには、この結晶化と手放しが必要

相当な文章量になりまして…、電子書籍一冊文に近い分量を書いてしまいました。読了までに53分かかるという試算がでてるw。はたして最後まで読んでくれる人がいるのか(笑)

それでも、今私の中にあるスピリチュアルなキーワードと、テクノロジーへの取り組みを言語化したつもりです。マジ一週間かかりました(笑)

そんな、テクノロジーとスピリチュアルの融合をお届けする YouTube チャンネルを構想一年でようやく発信することができるようになりました。

それが「スピリITチャンネル」です。よかったらぜひフォローしてください。
https://www.youtube.com/@supiriit

ChatGPTデイリーハックと AICLASS Begins

現在、週に3日 朝30分の時間を使って、ChatGPT はもちろん、さまざまな AI の活用を日常に落とし込む「ChatGPT デイリーハック」という学びの場を提供しています(月額 3,300円)。私がこうしたツールをどんなふうに活用しているのか?AIの使い方に加え、画像生成AIや、検索AI、さらには音楽生成AIに至るまで、私だったらこう使うという視点で 30分を共に学び意見交換しています。

コンセプトは「普通の人のAI活用術」です。AIサービスをゴリゴリ作ります!という人には向いていません。温かい仲間と一緒に過ごす朝の30分。AI時代のモノの見方、考え方を身に付けたいという人にはとてもいい学びの場です。

なにより、参加者の皆さんがこうした AI ツールをどう使いたいのか?というのが肌感でわかるのも非常に学びになりますね。

興味のある方は、以下のLINE 公式アカウントから「朝30分のAI習慣 ChatGPT デイリーハック」ボタンを押してくださいね。

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私がこの AI という革新的技術の世界につねにアンテナをはりつづけられるように、上記 ChatGPT デイリーハックとは別に運営している Facebook のグループ「AICLASS Begins(アイクラスビギンズ)」があります。私自身のモチベーションのために運営しているので、このグループは完全無償提供しています。あなたの参加と反応が私の栄養源です。

その性質上、AI と共に暮らす(CLASS)という前向きな人に参加してほしいので、私からの招待制とさせていただいています。

まずは、無料グループ AICLASS Begins に参加して、「AICLASS Begins に参加したい」ボタンを押してくださいね。

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この記事を書いた人

ジーニーのアバター ジーニー スピリITエヴァンジェリスト

「自力と他力、二つの力が共鳴する時、未来は無限に広がる」。テクノロジーとスピリチュアルの世界を統合し、その力を最大限に引き出す方法を伝える情報を提供しています。「わたしならできる」という自力、「あなたを数百数千倍に輝かせる」テクノロジーという他力。自分を信じ、テクノロジーを活用する一歩を踏み出しましょう。

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