他人のペースには巻き込まれたくない
という思いが人一倍強くある
かと言って、放っておくと
結構ぐうたらなのだ、この体は
こういう自分の特性も齢(よわい)
50年を間際にようやくわかってくる
そのくらい自分というのはわからない存在だ。
今日は、自分がどういう人間なのか?
を最短で知る方法というテーマ
莉緒と古い鏡の魔法
(画像は Amazon アフィリエイトリンクになっています)
今、ふらっと Kindle に出てきたこの本を読んでいる。第11回朝日学生新聞社児童文学賞を受賞した児童用の文学小説だ。
多少のネタバレは覚悟の上に書くと、ある日突然アンティークショップが自宅になってしまった少女が、アンティークの鏡に閉じ込められていた精霊に出会って、大嫌いな自分を好きになっていくというストーリー。
そんな本の一節に、精霊とのこんな対話がある。
廉(鏡の精霊)、今日は昨日みたいなはっきりした姿じゃないんだね。でも最初のころと比べたらずいぶんくっきりしてきていない?
毎日莉緒と話しているからかな、たぶん。自分で考えたり相手に話したりすると、自分がどんな存在なのか、はっきりしてくる。
今日のテーマはここにある。
沖縄の屋根には貯水タンクがある
今日の朝5:00〜読書会で出てきた話。今年の6月ごろに沖縄旅行にいった読書会参加者さんが、「沖縄の屋根には貯水タンクがあるんだよね〜」って気づいたことをシェアしてくれた。
「ええ、ありますね、本州のみなさんはないんですか?」と沖縄からの参加者さん。
なんでも、歴史的経緯としてはこんな話らしい。
でも、これも話すことで初めてそれが、周りの環境とは違うということに気づくことができる。
話すことで自分の輪郭はよりくっきりと浮かび出される
こんな家の外観のことだって、自分たちの住んでいる地域の見慣れた景色の中では、「自分(たち)がどういう存在なのか?」を正しく見ることができないことを示している。
きっと、人と話すことって「光」のようなものなんだと思う。自分自身の形というのは、きっと自分では見られなくて、光を受けてその影をみることでしか認識できないことになっている。ちょうど、僕たちが、僕たち自身の姿を一度も直接見たことがないように、間接的にしか自分の本当の姿は知ることができないのだろう。
いや、それって鏡で見れるじゃない?っていうかもしれないけど、鏡が真実の姿を映してるだなんて誰が証明できるの?超高速演算で、鏡に写っている映像は加工されているかもしれないのに。
(左は Canva 素材から、右が AI)
そうそう、最近AIでこんなことができるようになってきました。加工に10分ぐらいかかっているんだけど、技術は日進月歩ですからね。人類の感知しないテクノロジーで、これがリアルタイムに(自分の姿が鏡に映って、自分が見るまでの間で加工)処理できていたとしてもまったくおかしいとは思わない。
まとめ
自分というのは、決して自分一人で描けるものではなく、人とのかかわりにおいて自分というアイデンティティが保たれていきます。もしも「自分探し」をするのならば、それは決して名も知らぬ土地への旅路の先にあるのではなく、身近な人との対話の中で見つかっていくものなんだと感じます。
材木の中の木彫りの像を、言葉によって掘り出していく、そんな活動の中にこそ、自分を見つけていけるのです。
AI時代に必要なあなたらしさ、自分らしさは、「読む力」と「AIを活用する力」で育まれていきます。
ご質問などは、LINE公式からどうぞ。👇👇👇
コメント