生まれ育った場所でもなければ
第二の故郷でもない
でも、旅行に行ったアノ日から
その場所が特別な場所になった
という記憶はないだろうか?
今話題の映画「君たちはどう生きるか」
この作品を最高傑作と見る人、駄作と見る人
その違いがどこから生まれるのか?
今日はそんなテーマのお話です。
「52ヘルツのクジラたち」を読んで
随分と前に、本屋で平積みになっていたこの本。装丁の美しさとかわいさからつい手に取って、積読になっていた。ふと、気になり中身をよみはじめた。意外にも虐待の話だった。
クジラは通常 10〜30 ヘルツという周波数帯域で、仲間のクジラと会話をしているのだという。ところが、52ヘルツの声を発するクジラがいて、その声は仲間のだれにも届かないのだという。
そう、52ヘルツというのは、「たすけて」という心の声を誰にも聞いてもらえないということを示しているのだ。
52という数字は、昨日までの僕には特別な意味を持たなかった。ところが、今日からは「声にならない心の声」を聞くためのキーワードになってくる。本を1冊読むというのはそういう価値があるのだ。
経験は世界の色彩を変える
生まれ育った場所でもなければ、第二の故郷でもない。
でも、旅行に行ったアノ日から、その場所が特別な場所になったという記憶はないだろうか? 先日、四国を旅した受講生さんから、
ジーニーさん、高知が日本一なことってご存知ですか?
と聞かれた。ふと、なんだろうと考えたが「うどん?それは香川か💦」というのが精一杯だった。実は高知県は森林占有率が日本一位らしいのだ。ちなみに日本二位は岐阜県。海に広く面している高知が、森林占有率日本一だなんて知らなかった。
こんな風に、経験を伴うことで受講生の彼に取っては、高知という場所は特別な存在になり「世界の見え方」を変えるできごとになる。世界全体が、昨日までとは違った色彩で輝きだすのだ。
確率を上げるのが読書体験
経験をすると、世界の見え方が変わる。それはわかった。
じゃぁ、あらゆることを経験できるかといえば、そうもいかないだろう。生理学上、男に生まれればその人生を歩むことになる。新潟生まれが、沖縄生まれという経験をすることもできない。
そんな時に、今の自分じゃない自分の経験をさせてもらえるのが、読書体験だ。
きっと一生であえないであろう境遇を、感じてみることができるのが小説であったりする。すると、本一冊を読むことで、その瞬間から世界の色彩は変わって見えることになる。
これが、世にいう読書の仮想体験だ。本一冊を読むと、特別な世界への入り口がいくつも開いたことに気づく。例えば、クジラをみても、52を見ても「52ヘルツのクジラたち」を通して感じた、「声にならない心の声」のことを気に掛けられる自分になっていることに気づけるだろう。
「君たちはどう生きるのか」を受け取れる人
宮崎駿さんの「君たちはどう生きるのか」。賛否両論両極端の面白い作品になりましたね。
「金返せ!」という人がいる一方で「最高傑作だった」という人がいる。
確かにわかりやすい作品ではなかったんだろうけど、僕はこの作品は「自分が世界をどんな色彩で観ているか」が分かる作品なんだろうと思いました。
ラピュタを思わせるシーンだったり、トトロを思わせるシーンがあったり、ハウルやポニョ、千と千尋など…。同じキャラクターが出てくるわけじゃないけど、ふとそんな作品のあの場面を思い出させる仕掛けがある。
さらには、これは宮崎監督の幼少期の体験かな?とか、自分にもそんなことを感じた時があったよね、とか。経験が多ければ多いほど、特別なキーワードを持っていれば持っているほど、この作品は響く作品になっているのではないかと思うんです。
「独学大全」という別名鈍器本(厚みがスゴイので鈍器に使えるよ…というところから)という本があります。その本には、さらに独学大全をよみとけるような副読本が出ています😂。その中の一節。
わかりやすいハリウッド映画や、ストーリーがはっきりとしている作品って、よく噛み砕かれて場面の説明がなされているんです。たしかにわかりやすくて、楽しめるかもしれない。
でも、「こう楽しむものですよ」と指定された楽しみであって、あなたが自由に楽しむ余地がどれだけ用意されているのか?という点では、なにかが足りない。
アート作品のようであったり、砂場のようであったり。自分のクリエイティブな想像の世界で、楽しみを見つける。それが「君たちはどう生きるか」という作品のように私は感じました。そういう意味では、実に小説的だともいえます。
まとめ
今日は「君たちはどう生きるか」を受け取れる人、受け取れない人というテーマで、自分の見えている世界をどう広げていくか?という点について書きました。
本を読まなかった僕だからこそ、本を読んで見えている世界が、一冊読むごとに広がる感覚を感じています。自分に受け取れないものを「駄作だ」「最低だ」と切り捨てるのは簡単ですが、僕には怖くてできません。
よかったものをよかった、というのは自分の受け取れる範囲で言えるんですけど、「駄作だ」「最低だ」っていうのって「今の自分では受け取れなかった」だけかもしれない。
そんなわけで、自分の受け取れる世界のことを、まだ見えていない色彩の世界を広げるために、今日も本を読んでいます。ただ本を早く読むだけじゃない速読スクール「楽読」を通じて、この世界の見え方を伝えています。
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