「知っている」ということは
昭和の時代までは貴重なことだった
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これが平成に入って
「調べられる」ことの重要性が増し
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令和の時代に入っては
「DJのようにグルーブを創り出せる力」
が鍵になってきたように思う。
今日はそんな知識の進化の話です。
知識は毒になりつつある
先生聞いてください!めちゃくちゃ怖かったです!
え?どうしましたか?
さっき、〇〇デパートのフードコートで隣のテーブルに座っていたオバちゃん達に、「〇〇の事件」どう思う?って言われて「え?なんですか?」って聞いたら「あなた新聞も読んでないの?」ってめっちゃ詰め寄られました💦
それは怖い思いをしましたね💦
知らないことなんてみんな、山ほどあるのにね
数年前から、特に事件・事故などの「感情を抉(えぐ)られる」系のニュースには触れないようにしている。冷たい人と思われるかも知れないけど、自動車が児童の通学の列に突っ込んだとか、そういうのは「気をつけて」対処できる話ではないからだ。
それでも「かわいそう」「理不尽だ」という思いを感じた時に出てくるのは「怒り」や「悲しみ」である。その状態で教室の先生として立っていることは、生徒さんに対して、いい状態で振る舞えないのを分かっているから、特にテレビのニュースからは距離を置いている。
そうしたニュースを「知っている」ということは、毒にもなるのだ。
時事ネタだけではない。パソコンの知識だって毒になる。
パソコン教室をやっていると「教科書通り動かない」なんてことは山ほどあるし、プログラミングの世界では「本に書かれていること」と実際やってみることは、大抵の場合一致しない。それは、30も40もある部品(ライブラリやフレームワークなどと呼ばれる)の世代(バージョン)が違うために起きている。
「1ヶ月前はこの方法では行けたのに」というのは、全く参考にならないのだ。
第1章:昭和 – 知識の権威
昭和時代は高学歴、専門知識、これらが人々の価値を決定づける重要な要素でした。知っていることが、まるで社会的な成功の基準だったんです。
学校の教育も「詰め込み式」に重点を置き、批判的思考や創造性を育てるということは後回しにされてきました。今と比べてみると、大きな違いが見えてきます。情報が豊富で手に入りやすい現代では、単に知識を持っているだけではなく、その知識をどう活用するかがより重要視されていますよね。
例えば、現代ではインターネットやスマホの普及で、誰でも簡単に大量の情報にアクセスできます。昔なら図書館で何時間も過ごさなければ得られなかった情報が、今では数クリックで手に入る時代です。このため、単に多くの事実やデータを知っていること自体が、特別なことではなくなりました。
僕も田舎育ちでインターネットのない当時、町に3件あった本屋では必要な本がなかなか手に入りませんでしたが、今ならば Amazon で翌日には本が届きますし、もっと急ぐならば電子書籍ですぐに本を手に入れることができます。
第2章:平成 – 情報アクセスの革命
平成時代は、情報技術が発展したことで論理的な思考が強く求められる時代でした。インターネットの普及で情報が溢れかえり、その中から正確な情報を見極め、有効に活用する能力が重要になります。
会社でもロジカルシンキングの研修などが多数ありました。
この時代、学校教育やビジネスの場では、ただ情報を知っているだけでなく、それを分析し論理的に考える力が大切だとみなされました。例えば、プログラミング教育ではコーディング(プログラムを書く)技術だけでなく、問題解決のための論理的な思考方法(順を追って考えること)が大切だとされました。
しかし、平成の終わりに近づくにつれ、この論理的思考だけでは足りないことが明らかになります。複雑化する社会問題や多様化する個人の価値観の中で、新しい時代の要求が見え始めていたのです。
第3章:令和 – 感性の時代
令和に入り、AIや高度なテクノロジーの進展が目覚ましいです。
情報処理や論理的思考を機械に任せることが可能になりました。「AIによって仕事が奪われる!」なんて言葉がそれを表していますよね。これにより、人間に求められるのは「感性」です。創造性、共感、直感的な判断力など、テクノロジーでは真似できない人間独自の能力が重要視されるようになります。
例えば、デザインや芸術の分野では、AIが生成するアートワークとは異なる、人間特有の感性が求められます。ビジネスの世界でも、データに基づく論理的な意思決定と並行して、消費者の感情や市場のムードを読み取る感性が重要になっています。
まとめ
来年で50歳になります💦
昭和、平成、そして令和と、時代が移り変わる中で、知識の価値観の変化を感じています。昭和時代の知識の権威から、平成の論理的思考の重視、そして令和の感性の時代へと変わってきました。知識はただの情報の集合体から、それをどう活用し、どう感じるかという方向へと進化してきたように思います。一言で言えば、これからは「自分で選び自分で決める」ということが、もっとも重要なことになるのではないかと思っています。
例えば、食べ物や洗剤など「自然由来だから安心」という言葉ある一方で、「自然だから大丈夫」ということはない、アレルギーで死に至ることもある、と聞きますよね。
その時に、その食べ物や洗剤が「私にとってイイのか?悪いのか?」は本来自分が感じる感性によって選び取れるはずなんです。ところが「〇〇が体にいい」という知識を鵜呑みにすると、その知識は文字通り毒になります。
さらに、論理的に「〇〇は体にいいというけど、私は●●の持病持ちだから食べない(使わない)ほうがいいよね」と、遠ざけてしまって本当にイイのか?というのは、使ってみてあなた自身がどう感じるのか?を自分で選ぶ、ということで分かります。
この変化を理解し、適応することが、これからの時代を生きる私たちに求められています。知識はもはや、単に頭に入れておくものではなく、どう使い、どう感じるかによって、その価値が決まる時代になっています。未来に向けて、私たちはこの新しい知識の形をどう受け入れ、どう活用していくべきかを考えていく必要があります。
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