速読インストラクター【なのに】
小説を推す人のブログはこちらです(笑)
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先日、講演会に行った方が
「〇〇さんの講演すごくよかったけど
喜多川泰さんの講演会がわたしは好きだな〜」
って話してくれたんです。
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そこには、小説家ならではの
仕掛けがあるようです。
それが…
生産者の顔が見える〇〇
りんご農家が、りんごを切りながらこう語る。
このりんご「こうこう」って言うんですけどね…
弘前大学で育成されたものなんですよ。大学だけあって、学生さんが名前をつけた品種なんです。そこには、こんな意味が込められている。
✅【弘】前大学でできた【黄】色いりんご、だから「弘黄」
✅【幸】せを呼ぶ【黄】色いりんご、だから「幸黄」
✅親【孝行】するときに贈るりんご、親孝行する人が食べるりんご、だから「孝行」
✅【高校】生が食べれば大学合格が、中学生が食べれば【高校】への合格間違いなし「高校」
✅「こうこう」を食べればあなたの、わたしの人生が【煌々】と光り輝く「煌煌」
なんて言われたら、そんなサブストーリーも一緒に、このりんごをいただくことになる。冒頭の講演の違いも、そんな「小説家」とそうでない人の違いなのかもしれない。
エピソード記憶
エピソード記憶とは、あなたが経験したできごとに関する記憶です。エピソード記憶には、時間や場所、そのときの感情みたいなものが含まれます。
1冊の小説を読むと、さまざまなトピックが扱われることになる。今回、作家喜多川泰さんの新刊「おあとがよろしいようで」はそのタイトルの通り「落語」というトピックを扱った作品です。
そこには、主人公が「落語」に出会うきっかけがあって、そこでさまざまな人と出会って、イベントごとが起きる。そこで、悲喜交々(ひきこもごも)の感情が呼び起こされる「エピソード」が共有される。
これが、小説の魅力の一つで、今回のこの作品ならば「やかん」「茗荷宿」といった落語の演目に対して、その話の内容に関するストーリー以外にも登場人物がどう関わったかと言うサブストーリーが乗っかってくる。
昨日までは「やかん?」お湯沸かすアレでしょ?ぐらいに思っていた僕が、「『やかん』っていうと、あの落語の?」ぐらいには、話ができるようになっているのは「エピソード」記憶という、比較的記憶効率の良い記憶法で覚えてしまうからだ。
だから、小説家の講演会は「密度よりも浸透率」が高い。自分に残る話が多いのだ。
新たなことに興味が湧く
小説「おあとがよろしいようで」を読むまでは、「落語」になんて興味がなかったし、「南浦和」がどんなところでもかまわなかった。聖地巡礼じゃないけど、物語の舞台になる場所があれば、それは一つの興味の対象になる。
久米絵美里さんの小説「言葉屋9 鉱石王の館」では、宝石のラピスラズリが過去には絵の具に使われていたのだという。世界一高い絵の具の材料になる。
こんなエピソードを聞いたら、ちょっと検索したくなって検索してみると、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」にそんなラピスラズリの青が使われていることを知る。
雑学王になりたければ、雑学500 なんて本を読むより一冊の小説を読んだ方がいろんな知識と感情が連鎖して、きっと目の前の人にプレゼントできる話ができる人になる。
興味は連鎖する。
まとめ
小説を読むというのは、記憶の足場をつくることである。みたいなことを、3週間に1回ぐらい書いてる😂
あらためて小説はただの暇つぶしではないんだな、と思う。それは、僕にとって小説は記憶力をあげるためのツールだし、だれかと話をする時に会話の中から広がる話をするためのコミュニケーションツールでもある。
そして、自分の心の中で起きていることと、主人公や登場人物の心情が一致した時、「ああ、僕にもこの感情がある」と内観する自分を手助けできるツールにもなる。まちがいなく、人生を豊かなものにするのに欠かせないものになっている。
速読講師が「小説」を推す?「小説」って味わうものでしょ?
って感じるのもわかる。じゃぁ、その速読できる脳を「ゆっくり味わう」ことに当てたらどうなるか。それは「理解するのがやっとだった」時にはできなかった、登場人物の感情を味わうことや、自分の経験との紐付け、興味の拡大、記憶力の向上に使えるように脳のキャパシティが広がるということ。
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