自分の価値を再定義する:テクノロジー時代の存在価値の探求

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2024年もよろしくお願いします

明けましておめでとうございます。と言いたいところですが、日本列島は1/1からあの大地震。

私にとっては、新潟中越地震、新潟中越沖地震、東日本大震災と大きな揺れを経験しているのですが、今回は新潟市内でも液状化や段差ができるなど、大きな被害が出ているようです。

それでも、震源に近い輪島市あたりでは、人命に関わる火災や津波なども発生している。1時間に何十回と有感の地震も発生しており、不安な夜を過ごしていることだと思います。

東日本大震災の頃、あらゆるテレビ番組が AC の広告(ぽぽぽぽーん、金子みすず)に変わり、すべてのテレビ番組が地震報道に変わりました。この世の終わりが来たかと思いましたが、数年後に関西地区の方があのACの TVCM を知らないと聞きました。

それを聞いて、あの絶望の東日本を牽引してくれていたのが関西以西の人だったんだな、と感じたものです。元気な地域がTV報道を聞いて、同じように落ち込むのではなく「牽引する」ことができたらいいな、と感じます。

自分の存在価値とは?

このセクションでは、「自分の存在価値」について深掘りします。私たちが日常生活の中で直面する「自分は何者か」という問いに対して、私自身の経験と考えを通じて、新たな視点を提供します。自戒の念を込めて。

「自分の存在価値」は外部から見える要素、例えば職業や他人の評価によって決まるものではありません。

例えば、あなたが料理人ならば、それはあなたの存在価値の一部ではありますが、全てではありません。なぜなら、料理人としての技能はあなたの能力の一部であり、あなたが料理人でなくなったとしても、あなた自身の価値は失われないからです。

僕は以前、自分の「存在価値」に固執していました。そして、今でもそれにしがみついているかもしれません。今、あなたが同じように自分の存在価値に悩んでいるとしたら、何かのヒントになるかもしれないと思い、今日のテーマについて書きます。

「自分のプログラムコード」にしがみつく開発者

ここでは、僕がかつて経験したソフトウェア開発者としてのキャリアに焦点を当て、自分のコードや作業に固執することが自分の成長とチームワークにどのような影響を及ぼすかについて考察します。この話は、プロフェッショナルとしてのアイデンティティをどのように捉え、発展させるかという点に光を当てます。

僕は決して抜きん出て優秀な開発者ではありませんでしたが、自分の担当分野の品質面ではバグ(不具合)の少ないプログラムを書いていたと思います(多分、思い出は美化されているでしょうが…笑)

実はソフトウェア開発者の世界には、自分が担当したプログラム(アプリなどの設計図)を人に触られたくないと思う人が少なからずいます。僕もその一人だったと思います。

設計思想があって、自分以外の人がその設計思想を汚すのが許せない、そんな想いを持っていたりします。これは、プライドではありますが、意固地になれば自分が書いたプログラムをだれもメンテナンスできないことになります。だから、管理職になった後も自分の設計したプログラムが気になって、手を出したりしていました。実に迷惑な上司です。

他の人が手を加えることができないプログラムを書く開発者は、会社からすると迷惑でしかありません。あなたが不在の時に問題が発生したときはどうするのでしょう?会社を休めないし、後継者も育たない。あなた自身が、次の成長を求める欲すらも止めてしまっていたりします。

一見すると、あなたは頼られて「自分の存在価値」を見つけているように見えますが、新陳代謝のない体は生き延びていくことができないように、会社という組織、社会という組織が、生きていくためには自らの存在を脅かしていく思考の一つになります。

プログラムを作ることは僕にとって楽しいことの一つでした。でも、僕自身がプログラムにのめり込むことはあまりに時間がかかりすぎるし、自分自身の成長を妨げていると感じたので、職業としての開発者を辞めることにしました。

自分の作風にしがみつくアート作家

この部分では、アート作家としての僕の体験を共有し、どのようにして自分の創造性を新しい形で表現してきたかを話します。特に、AIアートの台頭が私たちのアートに対する見方をどのように変えるかに焦点を当て、創造性と技術の融合がもたらす可能性について探ります。

今年、SNSにアップした年賀画像はこれでした。

もちろん、ここまでの絵がフリーハンドで描けるわけではないのでAIアートです。文字は、Apple Pencil で僕が書き入れました。

AIアートのこの画風は好んで使っていますが、別に「あなたの絵じゃないよね」と言われたら、その通りです。この特定の画風を作り出すために、AIが学習する特定のデータセット(「Model」と呼ばれます)を選んでいます。これはAIが絵を描く際に参考にする情報の集まりです。画像生成AIに文章(プロンプト)を入れて画像を生成しますが、プロンプトも僕の存在価値ではありません。

富士山と日の出をバックに、着物の女性が髪をかきあげながら、本を読んでいるシーンを作りたいと思った感性。生成AIによって大量に生成されたものの中から、この一枚が美しいと感じる感性は、誰にも奪われない「自分らしさ」ですが、この生成した一枚が私の存在価値ではありません。

書き入れた文字もそうです。字が綺麗というのは僕にとってアイデンティティの一つでした。書道を10年続けてきましたから。でも、パソコンによって美しいフォントで文字が出せるようになった今、綺麗に書けることは誰でもできます。じゃぁ、とクセのある字を書けるように自分を表現した時期もありました。でも、そんな独創的な字体にしがみつくことは、自分の新たな可能性を潰してしまうように感じたのです。

画家にしても、書家にしても、作詞・作曲家にしても、自分の作風を作り上げそれを自分自身で壊していく過程こそがアートなのだと感じます。

アップデートは時代が押していく

きっとね、写真が出てきた時に写実主義の画家は戦々恐々だったと思います。

絵が上手い、というのが「どれだけ現実と似ているか?」の時代だったからです。それがある日突然、「似ている」だけだったら写真の方がすごい!ってことになったんです。そうすると、絵が上手かった画家は、自分の存在価値を失います。そこで、自分の作風を壊し新しい作風を作り上げます。

今、画像生成AIが出てきたことで、絵を仕事にする人は自分の存在価値かかけた戦いをしているように見えます。だって、自分がこれまで何千時間とかけて作り上げてきた画風に似た絵が、バンバンAIによって作られているんですから。それは、勝手に学習されることを嫌がるでしょうし、それが存在価値を求める人間の感情として当然だと感じます。

筆耕士(ひっこうし:毛筆によって表彰状や感謝状、慶弔や式典に関わる式辞や目録、宛名などを書く職業の人)にとって、字が上手いというのはアイデンティティでした。ところが、この分野がワープロ、パソコンに置き換わって、特別なシーン以外では「字が上手い」ということだけでは自分の存在価値にはならなくなりました。

僕たちが子供の頃は、習い事といえば「そろばん」「書道」「公文式」でした。あとはスポーツ系だったかな。「計算が早い」はアイデンティティでしたし、字が上手いもアイデンティティでした。おそらくそんな中で「絵が上手い」は、長くアイデンティティでしたでしょうし、これからもそうであってほしいと感じるのは当たり前のことです。

AIアートで繋がっているインスタアカウントのフォロワーさんの中には、自分で絵を描くのも好きだという人がたくさんいます。絵が描けるのに、AIアートに取り組んでいるんです。そこには、絵が好きという個性がありますし、手描きで培った構図の美を感じる感性もあります。彼ら彼女らは、この時代に後押しされて自分の「存在価値」をアップデートしている最中なのかもしれません。

まとめ:存在価値は「〇〇ではない」を追い求めるプロセス

存在価値とは、これこそが私のアイデンティティと思ったことを、自らの手で破壊していくプロセスの中である日突然「あぁ、これが自分なのか?」と感じることなのかもしれません。

それは、あなたの職業があなたではないし、あなたの絵があなたでもない。もっと言えば、あなたの見た目があなたではないし、あなたの身体があなたでもない。魂とは何か、あなたとは何か?そんな哲学的な問いと同じようなものなのかもしれません。

2024年のこの年は、私たちにとって自己探求の重要な時期です。AIの進化が我々の日常にもたらす変化を受け入れ、自分の存在価値を再定義することが求められています。このブログを通じて、僕は自己のアイデンティティを見つめ直し、変化する世界に適応するための方法を探りました。皆さんも僕と共に、自分自身の価値を再発見し、これからの時代に対応していく力を身につけましょう。

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この記事を書いた人

ジーニーのアバター ジーニー スピリITエヴァンジェリスト

「自力と他力、二つの力が共鳴する時、未来は無限に広がる」。テクノロジーとスピリチュアルの世界をブレンドし、それぞれの力を最大限に引き出す方法を伝える情報を提供しています。「わたしならできる」という自力、「あなたを数百数千倍に輝かせる」テクノロジーという他力。自分を信じ、テクノロジーを活用する一歩を踏み出しましょう。

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