人は本来は「死」ななくていい。
そんな話をどこかで読んだことがある。
「死」とは究極のリセットの仕組みで
人が成長するために「執着」を
手放すために必要な仕組みなんだと。
ふとそんなことを感じていたら
「執着」は「終着」という
ワードが気になったので
綴ってみます。
「執着」は「終着」その意味とは?
人は「執着」することで
自分の成長を止めてしまう。
それはあたかも
その先に進めなくなった
人のように
成長の終わり「執着」となる。
これには3つの執着があると思っている。
その3つが、「結果への執着」と
「プロセスへの執着」と「成長への執着」だ。
結果への執着
期待していた成果がでないと
やる意味がないんじゃないか?
という「執着」
テストで〇〇点取れなかったから
これまでの勉強が全て無駄だった。
「小説なんて、時間の無駄でしょ?」
そう思っていた僕はこの
「結果」への「執着」があったんだろう。
ところが、なにか行動を起こした先に
思いもよらない自分の成長がある
という経験は少なからずある。
実に「小説を読む」とは、そういう体験だったりする。
読んだ後に、思いもよらない
自分の価値観の変化がある。
価値観が変わると
「それまで問題だった」ことが
「まるで問題にならなく」なることがある。
問題を解決しないで、問題が消えていく
というのは、「結果への執着」を
手放した先にある。
あの人のせいで、あの人をなんとかしなきゃ
とあの人が「変わること」を期待する「執着」。
実際には、
「なんだ!気にすることじゃなかったじゃん」って
自分の考え方(価値観)が変わったら
気にならなくなった(問題の消失)という
解決方法もある。
「期待した結果」しかないところに
自分でもまだ知らない、自分の可能性なんて
転がっているわけ、ないですもんね。
プロセスへの執着
やりかたがこうでないといけない
という「プロセス」に執着することがある。
たとえば、
計算しないとバカになる
漢字を書かないと覚えられなくなる
苦労しないと身につかない
これらは、プロセスへの執着だ。
人が時代を生き抜く力は
時代によって違う。
「自慢じゃないが、僕は計算が苦手だ」
というと、いやいや
先生がそんなことないでしょ?
とパソコン教室の生徒さんに突っ込まれるけど
それは本当で、他にも
いまさっき使っていたボールペンとかメモとか
そういうものはすぐに無くす💦
この時、
自力で計算力をつけないからバカになる
と計算を頑張ってみたものの
苦しくなるだけで一向に成長しない。
でも、大人になると
「ああ、計算できなくってよかったな」と思う。
その分、Excel を使ったり AI を使うことに
抵抗がなく、
「なんでこんな便利なものやらないのさ!?」
と、今の時代を生き抜く力になっている。
なんでもかんでも自分でやらなきゃいけない
このやり方でやらなきゃ意味がない
という「プロセスへの執着」を手放すと
新たな成長点が見えてきます。
成長への執着
これをやったら、
「何か成長していないと
意味がないんじゃないか?」
というのが、「成長への執着」
もちろん、この行動を通して
「成長点」があらかじめ分かった方が
安心してその道に進めるけど
「成長点」が見えてないと先に進まない
ということを繰り返すと
人はやがて行動しなくなる
という「終着点」に辿り着く。
そんなことやって
「なんの意味があるんですか?」
という質問に辿り着く。
パソコン教室をやっていると
シニアの生徒さんに多いのが、
「このボタンを押してもいいですか?」
という質問。
「慎重なのはいいことですが
パソコンって大概のことは
『一手戻す』ができるので思い切って
やってみてください」
という話をする。
パソコンやスマホは
何マンという小さな失敗を通して
操作に慣れていく。
だから、iPhone には
マニュアルが付いていない。
それなのに、
「若い人はいいわよね。
すぐに新しいこと覚えられて」と。
そのボタンを押してみることが
「成長」なんですよ☺️
大丈夫、壊れませんから☺️
まとめ
今日は「執着」が
自分のあたらしい可能性を「終着」させる
3つの「執着」についてお話ししました。
結果への執着
プロセスへの執着
成長への執着
今自分がいるところが
行き止まり(終着)だと思っても
その先にも道はあります。
そして、そうやって「執着」によって
見えなくなった「未来」に
道を作る価値観のアップデートは
いつも「本」から始まります。
感性を磨き、だれでも2〜7倍のスピードで
本が読めるようになる「楽読」スクールを
全国Zoomレッスンと、新潟の教室でやっています。
そんな「読む」を通して、
「あ、私にもできるんだ!」という
自力を育てるスクールが「楽読」だと
思っています。
随時入学生を募集中です♪
👇👇👇
楽読新潟鴨頭スクール
コメント